好きなことは最大限、嫌いなことは最低限──高校で確立した「僕の生き方」
立教池袋高校に進学したとき、僕の生活は一気に自由になりました。
生徒会に入り、活動は楽しく、
親友もでき、
学校行事やボランティアにも積極的に参加し、
本当に「順風満帆」でした。
当時の生徒会長とは今でも親友で、
今では僕の会社の顧問税理士を務めてもらっています。
学校生活だけを切り取れば、100点満点の高校生活。
しかし──
母親との「成績バトル」だけは終わっていませんでした。
■ 高校の成績制度は、中学と同じ。ただし“進学に影響する”
立教池袋の高校も、中学と同じ仕組みです。
- 前期:中間・期末
- 中期:中間・期末
- 後期:期末
年5回のテストの平均で、評定が決まる。
判定はこうです。
- A:90点以上
- B:80点以上
- 合格:50〜79点
- 不合格:49点以下(進級不可)
ただし大きな違いが一つありました。
高校3年間の評定が立教大学への内部進学の55%を占める。
つまり、
AやBの数は内部進学で武器になる。
だからこそ、得意科目は本気で取り組む価値があった。
■ 歴史だけは「全力」だった理由
僕の歴史好きは、中学受験の頃から変わっていませんでした。
高校1年の歴史の先生は新人で、
とにかく難しいテストを作る先生でした。
平均点40点台。
半分が赤点。
問題がマニアックすぎて、教室がざわつくレベル。
でも、そこがたまらなく楽しかった。
僕はこのテストに2〜30時間以上かけて挑みました。
「絶対に満点が取れる」と思うレベルまで仕上げて。
そして迎えたテスト本番。
結果は──
89点。
悔しさはありましたが、
学年で圧倒的に1位でした。
この経験で、僕の価値観がまた一つ強まります。
「好きなことは、最大限努力できる。」
好きなものに熱中することの楽しさ、
努力が結果につながる快感、
それが僕の中で、確固たるものになりました。
■ 一方で「嫌いな教科」は30分しかやらない
歴史は2〜30時間かける。
では逆に、
嫌いな教科はどれくらいやるのか?
答えは簡単です。
テスト前30分だけ。
さすがにノー勉では心配でしたが、
30分だけ問題集を眺めて、あとはそのまま本番に行く。
もちろん結果は50〜60点程度。
しかし立教池袋の制度では、
- 50〜79点はすべて「合格」
- 内部進学も問題なし
- 不合格さえ取らなければ、進級もできる
だから、僕にとっては十分でした。
この二つの極端さ──
「好きなことは全力」
「嫌いなことは最低限」
が、僕の行動原理を形作っていきました。
■ そして訪れる“学校制度の矛盾”への気づき
ここから物語は、少し違う方向へ進みます。
ある日ふと、僕は学校の評定制度を改めて眺めていました。
90点以上:A
80点以上:B
50〜79点:合格(全部同じ)
49点以下:不合格
ここで、あることに気づきます。
「え…50〜79点って全部同じじゃん。」
つまり、
・歴史で89点 → A,B合格
・英語で58点 → 合格
・数学で72点 → 合格
全部「合格」。
差がつくのは、80点以上の世界だけ。
そしてもう一つ気づきます。
「後半で多少コケても、進級に影響しない状況になることがある。」
テスト5回のうち、
最初の3回でしっかり“合格ライン”をキープしていたら、
- 最後のテストが0点でも、不合格にならない
- 100点を取ってもB判定にならない
つまり、
「最後のテストは努力する意味がない」という局面が存在する
ということです。
僕の脳はすぐにこう反応しました。
「じゃあ、ここは0点でいいな。」
合理性だけを追求すると、
こういう結論になる。
■ しかし、そこに立ちはだかるのが「平均点お化け」の母親
僕の母は昔から、
“平均点”にとんでもなくこだわる人でした。
- 評定には関係ない
- 内部進学にも関係ない
- 僕の人生にも関係ない
でも母にとっては、
「平均点より下」=「恥」
という価値観が絶対でした。
だから、戦略的0点なんて、
母にとっては絶対に許されない。
そして毎回、怒号が飛びます。
- 「真ん中より下で恥ずかしくないのか!」
- 「なんで平均点を取れないのよ!」
- 「やる気ないの!?」
僕は毎回、心の中でこう思っていました。
「いや…恥ずかしくないし。やる気もないし。」
母とは、どれだけ話しても“価値観が違いすぎる”。
だから対立は避けられない。
この頃、僕はこう考えるようになります。
「価値観の違う相手を説得するのはムダ。」
そして、ここで“人生を決めるある発見”をするのです。
■ 運命を変えた「Excelでの気づき」
立教池袋はミッション系の進学校だったこともあり、
IT教育が充実していました。
高校1年生で、
- Word
- Excel
- PowerPoint
を実務レベルで扱えるように教えてくれる学校でした。
ある日、成績表を眺めていた僕は、はっと気づきます。
成績表には2種類ある。
① 平均点+自分の点数が載った一覧表
② 学期末に配られる、A・B・合・不が書かれた“正式な評定表”
そして理解したんです。
母が狂ったようにこだわっているのは①。
進級や内部進学に影響するのは②。
つまり──
母が見ているものと、
僕が気にしているものは、
完全に別物だった。
この瞬間、僕の頭に“ある閃き”が落ちます。
■ 僕が選んだ「最適解」──Excelで作る“母専用の成績表”
喧嘩しても意味がない。
説得しても伝わらない。
ストレスが溜まるだけ。
だから僕は決めました。
「母が求める“平均点の幻想”を、僕が作ればいい。」
Excelを開き、
自分の点数はそのまま、
平均点だけを調整した成績表を制作。
“母が納得する数字”に作り替える。
そして、
・その成績表を母に渡し
・正式な評定表は本物を渡す
という仕組みを確立しました。
これで、
怒号ゼロ。
机ドンゼロ。
説教ゼロ。
完全ノーストレス高校生活が始まりました。
この話を親友にすると、
いまだに笑われます。
「お前、本当にヤバい奴だよな。」
でも当時の僕は、
本気で合理的だと思っていました。
■ 高校で確立した価値観──「好きなことは最大限、嫌いなことは最低限」
高校生活は、生徒会も友人関係も順調で、
ボランティアにも積極的に参加し、
本当に充実していました。
その中で確立されたのが、この価値観です。
「好きなことは最大限努力する。
嫌いなことは最低限でいい。」
歴史は2〜30時間やる。
英語は30分で十分。
平均点はどうでもいい。
評定に影響する部分だけは押さえておく。
良い悪いではなく、
これは“僕という人間の基礎”になった価値観です。
■ ロジスク運営につながる「自分で選ぶ力」
高校の経験を振り返ると、
僕が本当に手に入れたのは学力ではなく、
**「自分で何に時間を使うかを選ぶ力」**でした。
- 全教科で良い点を取る必要はない
- 得意を伸ばす方が価値がある
- 他人の価値観に振り回されなくていい
- “選択する力”こそ人生を左右する
今、ロジカルAIスクールの子どもたちに伝えているのも、
まさにこれです。
AI時代に必要なのは、
“正解を当てる能力”ではなく、
“自分で考え、自分で選ぶ力”。
受験でも、将来でも、仕事でも、
そして人生でも必要になる力です。
ロジスクは、
この力をAIとの対話を通じて育てる場所です。
▼ ロジカルAIスクール公式サイト
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川島優貴
AIパートナーズ株式会社 代表取締役
ロジカルAIスクール代表