中学受験を終えて──「勉強を人生の中心にしない」と誓った僕が、中学で再び向き合うことになった現実
中学受験が終わって立教池袋に合格した日、
心の底から「助かった」と思いました。
あの瞬間、僕は人生で初めて「解放」を感じました。
長かった受験生活、毎日の叱責、不安と緊張。
テーブル越しの母の怒りの顔。
点数を渡すだけで家の空気が変わる日々。
それらが一気に消えていくようでした。
そして、僕は心に誓いました。
「二度と、人生の中心を勉強にしない。」
付属校に入れば、大学まで受験がない。
小学校6年間、母に言われ続けてきた唯一の正解。
それが、ようやく叶った瞬間でした。
しかし、
「勉強から解放される」=「母との戦いが終わる」ではありませんでした。
ここから、中学版の新しい戦いが始まります。
■ 立教池袋の成績制度と「合格さえ取れば進学できる」という仕組み
立教池袋中学の成績制度は明確でした。(2007年頃です)
- 前期:中間・期末
- 中期:中間・期末
- 後期:期末
年5回のテストの平均点で最終評価がつく。
そして評価は4段階。
- A:90点以上
- B:80点以上
- 合格:50〜79点
- 不合格:49点以下
最大のポイントはこれです。
不合格が1つでもあると、高校に上がれない。
逆に言えば、AでもBでも合格でも進学には一切影響がない。
つまり
とにかく不合格を取らない
それだけを意識していれば、普通に高校へ上がれるわけです。
僕は迷わずこう決めました。
「全部、最低限の合格さえ取れればいい」
受験の勉強貯金もある。
授業を聞いていれば50〜60点は取れる。
だから、本当に勉強をしませんでした。
■ しかし「母の平均点主義」との戦いが始まる
立教池袋では、毎回テスト後に
「平均点」が公表されます。
僕の母は、この平均点に異常なまでのこだわりを持っていました。
母が成績を見るとき、
最初に確認するのは 「点数」ではなく「平均点」。
そして平均点との差を確認した瞬間、家の空気が変わる。
合格でも関係ない。
AでもBでも関係ない。
母の基準はただひとつ。
「平均点より上か、下か」
それ以外の価値観は存在しませんでした。
平均点より下だった日は、必ず同じ言葉が飛んできます。
「真ん中より下なんて、恥ずかしくないの?」
この“恥”という価値観は強烈でした。
それは質問ではなく、
普通の人間なら恥ずかしく思うべきという断定です。
僕は毎回こう思っていました。
「いや、1ミリも恥ずかしくない。何言ってんだこの人は。」
しかし母にとって、
平均点=世間の真ん中
その真ん中より下というのは、家の名誉を傷つけることのように扱われていました。
そして決まって怒号が飛びました。
- 「やる気がない!」
- 「恥ずかしくないのか!」
- 「他の子はできてるのに、あなたは何なの!」
机を叩かれ、
夕食中でも説教が続き、
成績表を渡すのが本当に嫌でした。
僕にとっては合格が続いているだけで十分だったのに、
母にとっては平均点より下という一点が許せなかった。
この平均点主義が、
中学3年間ずっと続いた母との戦いの根源でした。
■ 「やる気がないと伸びるわけがない」──家庭教師ラッシュの結末
特にひどかったのは英語です。
平均点が毎回80点前後の中、
僕はずっと55点前後。
もちろん母は黙っていません。
- 地元の塾
- 英語特化の個別指導
- 家庭教師
- 補講
- 自習室送り
と、外部戦力の総動員が始まりました。
しかし、
成績は1ミリも伸びませんでした。
理由は単純です。
やる気がないから、伸びるわけがない。
やる気がなければ、人は伸びない。
本人が必要性を感じていなければ、何も変わらない。
これは、教育者としての今の僕から見ても
“当然すぎる当然”です。
しかし、当時の母にはそれが理解できなかった。
社会だけは毎回80〜90点を取っていたのに、
そこに対する賞賛はゼロ。
僕の心の中はいつもこうでした。
「なんで意味のないプライドに縛られて、ずっと怒ってるんだろう。」
■ それでも、学校生活は心から楽しかった
ここまで読むと、
「中学もまた地獄だったのか」
と思われるかもしれません。
でも、それは違います。
学校生活自体は本当に楽しかった。
立教池袋は自由で、のびのびしていて、
友達にも恵まれ、
生徒も教員も温かく、
笑う日が本当に多かった。
母との“平均点戦争”さえなければ、
文句のつけようのない中学3年間でした。
■ 無事に高校へ進学──僕が掴んだもの
結論として、
僕は全教科で不合格を取ることなく、
無事に立教池袋高校へ内部進学しました。
AでもBでも、進学に影響はない。
合格さえ積み重なっていれば進学できる。
僕はその制度を最大限に理解し、
必要十分な努力だけをしただけです。
■ 中学受験のその先で、子どもが学ぶべきもの
中学受験はゴールではありません。
むしろ
“勉強とどう向き合うか”を子どもが自分で選び直すスタートです。
僕が中学で学んだことは、
- 勉強を中心にしなくても生きていける
- 平均点より下でも恥ではない
- 得意を伸ばすほうが価値がある
- 無意味なプライドに縛られる必要はない
という「生き方の選択そのもの」でした。
そして今、教育者として強く言えることがあります。
学力の本質は“点数ではなく、思考する力”である。
そしてそれは、AI時代を生きる子どもたちにとって必須のスキルになる。
ロジカルAIスクール(ロジスク)は、
AIとの対話を通じて
「考える・創る・伝える力」を育てる場所です。
内側から湧き出る思考を育てる教育。
それこそが、受験後も一生使える“本当の学力”です。
▼ ロジカルAIスクール公式サイト
https://logicalaischool.com/
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