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2025.11.11

【実体験】教育ママのもとで育った私が、中学受験を通して見つけた「本当の学び」

「中学受験って、本当に子どものためになっているのだろうか。」
そんな問いを、私は「子どもだった頃の自分自身」を思い出すたびに考えます。

今、ロジカルAIスクール代表として多くの親子と関わる中で、
「当時の経験が今の教育観の原点になっている」と感じることが増えました。

この記事では、ひとりの子どもとして中学受験を経験した私――
川島優貴(AIパートナーズ株式会社 代表取締役)の実体験を、率直にお話ししたいと思います。


5歳、最初の「国語の壁」

私が初めて勉強というものに触れたのは、年長(5歳)のとき。
母は当時から教育熱心で、「この子はきっと中学受験をさせる」と心に決めていたようです。

ある日、母が買ってきたのが「さとるの自転車」という本。
「読みなさい」と言われ、机に向かったのを覚えています。

でも、どうしても読めなかった。
「き」「ょ」「う」「は」と、一文字ずつは追えても、
文章全体の意味が頭に入ってこない。

母は焦っていました。
「なんで分からないの?ここに書いてあるでしょ!」
叱られるたびに涙が出て、「国語って怖い」と思うようになった。
あのときが、私の「勉強嫌いの始まり」でした。


小1〜小3:「普通」と「特別」の間で

通っていたのは地元の公立小学校。
友達と遊び、ゲームをして、普通の小学生でした。

けれど家の中では、空気が違いました。
テレビを見ていると、「もう勉強の時間でしょ」と言われる。
テストを見せると、「100点?じゃあ次もね」。
勉強だけが特別扱いされる家でした。

そんな生活の延長で、小学3年の終わり。
母から突然、こう言われます。

「来年から四谷大塚に通うからね。」

その瞬間、私の小学生生活はがらりと変わりました。


小4:四谷大塚の日々

四谷大塚の御茶ノ水校。
机の上には分厚いテキスト。
周りの子たちはノートを取りながら、先生の話をどんどん吸収していく。
私だけが黒板を追うのに精一杯。

クラスはSS1〜S5まであり、僕はS3スタート
算数の偏差値は55くらい。国語は下から数えたほうが早い。

毎週の週例テストでは偏差値と順位が発表され、
家に帰れば、母の視線が待っている。

「なんでできないの!」
「こんな問題、ここに書いてあるでしょ!」

怒鳴られ、叱られ、泣いて、また机に向かう。
ゲームも漫画も没収。
唯一、トイレの裏に隠していた『名探偵コナン』44巻だけが、私の心の拠り所でした。

何百回も読んだその1冊を、今でも覚えています。
怒られすぎてリモコンを投げた日もありました。
母の頭に米粒を乗せて反抗したこともあります。

それでも母は本気でした。
私を海苔巻きのようにタオルで巻いて転がして叱ったこともある。
今思えば、あれも「愛情の形」だったのかもしれません。
でも当時の私には、ただ苦しかった。


小5:歴史が救ってくれた

10歳の夏。
家族や祖父母と旅行に行き、各地の史跡をめぐりました。
そのときに出会った「歴史」が全てを変えました。

戦国時代、幕末――物語のように登場人物が生きて動く。
「これなら覚えられる」と思えた瞬間でした。
そこから社会の偏差値は65超。全国1位を取ったこともあります

得意科目ができると、自信も戻ってきました。
算数や理科も少しずつ上がり、SS2に昇格。
でも国語だけは、ずっと苦手。

母は教育コンサルタントに相談しました。
その先生が言ったのは、こんな言葉でした。

「四谷の国語は受けなくていい。問題だけもらって帰っておいで。」

その言葉で、少し気持ちが軽くなりました。
「偏差値50はあった」と嘘をつけば、怒られない。
嘘をつくことが、「自分を守る方法」になっていました。


小6:限界と、「くだらなさ」への気づき

12歳の秋。受験まであと数か月。
「慶應に受かれ」「もっとやれ」と言われ続け、
朝から晩まで塾と家庭学習の繰り返し。

毎週の模試、夜の過去問、母のチェック。
頭が回らないのに、「寝るのは甘え」と言われる。
机に向かっても、文字がもう黒い点にしか見えなかった。

成績は伸びず、母の声もどんどん厳しくなる。
「このままだと落ちるよ」「もう知らないからね」
そう言われた夜は、何をしても涙が止まらなかった。

部屋の時計の音が、やけに大きく響いていました。

そして、ある夜。
もう勉強しても何も変わらない気がして、
机に突っ伏したまま、消しゴムを握りしめていました。

ずっと「なんでわからないんだ」「なんで怒られるんだ」と思っていたけれど、
その時だけは、ふっと頭の中が静かになって。
そして、こんな言葉が浮かびました。

「なんで、こんなくだらないことで死ななきゃいけないんだ。」

それは〜希望〜ではなく、諦めと怒りが混ざった呟きでした。
心の底から、馬鹿らしくなった。
死ぬ理由も、生きる理由も、どっちも見当たらない。
でも――「こんなことで終わったら、本当にくだらないな」と思った。

それだけのことでした。
でも、不思議とその夜から、少しだけ気持ちが軽くなりました。
「生きてるうちはまだ何かできるのかもしれない」と、
ほんの少しだけ思えたのです。

その頃、塾帰りに本屋で偶然手に取ったのが星新一のショートショート
短くて、淡々としていて、でも人間の心が静かに描かれていた。
なぜか、その文章だけは頭にすんなり入ってきた。
それが私とって、初めて「文字が意味を持った瞬間」でした。


受験シーズン:1月〜2月の戦い

🗓1月:東邦大学附属東邦・立教新座

まさかの東邦大東邦に合格
千葉御三家の一角。
塾の先生たちも、「国語が苦手な川島が?」とざわついたほどでした。

でも、喜びよりも安堵のほうが大きかった。
「やっと一つ受かった」――それだけ。

🗓2月:慶應普通部・立教池袋・慶應中等部

慶應普通部は落ち、立教池袋に合格。
そして迎えた慶應中等部。
最後の本命。

緊張と疲れで、教室に入った瞬間からくしゃみが止まらなかった。
ホコリっぽい空気の中で、鉛筆を握る手が震えていた。
正直、「受かりたい」よりも「早く終わらせたい」という気持ちのほうが強かった。

試験が終わって外に出ると、母が入口の外で待っていました。
人の波の中で、母の顔だけがやけにハッキリ見えたのを覚えています。

近づくと、母が小さく言いました。

「立教池袋、受かったよ。」

一瞬、耳を疑いました。
次の瞬間、全身の力が抜けて、
「終わった……」とだけ呟きました。

喜びというより、解放
その言葉がいちばん近いです。


ゲームと自由、そして「生き返った日」

受験が終わった週末、
ようやくゲーム機を返してもらいました。
久しぶりに遊んだポケモン・ダイヤモンド。
3日間、寝ずにクリアしました。

「勉強しなくても怒られない」
「遊んでもいい」
その自由が、たまらなくうれしかった。
生き返ったという表現が、たぶんいちばん近いです。


30歳になった今、あの頃を振り返って

母とは今、とても仲が良いです。
よく連絡も取りますし、会えば笑って話もします。
ただし――母は今でも「私は間違ってなかった」と言っています。

それを聞いても、もう腹は立ちません。
でも、納得はしていません。
私の中で、あの時間が正しかったと思うことは一度もない。

それでも、あの経験が自分の教育観を作ったのは確かです。
「あのやり方ではダメだ」という確信が、今の私の根っこにある。

中学受験は、親子の関係を映す鏡です。
その鏡に映るのは、正解や失敗ではなく、
「何を信じて、どう子どもと向き合うか」という問いそのものだと思います。


今、ロジカルAIスクールで伝えていること

ロジカルAIスクールでは、
AI時代に必要な「考える・創る・伝える力」を育てています。

詰め込みではなく、思考・発想・言葉の力を磨く学び。
中学受験をやめた子も、燃え尽きた子も、もう一度学ぶ楽しさを取り戻せる場所です。

かつて国語が読めず、母に怒鳴られ続けた僕が、
いまは子どもたちに「考えるって楽しいよ」と伝えている。
人生は、そんなふうに、時に皮肉で、時に救いがあるものなのかもしれません。


ロジカルAIスクール公式サイトでは、無料体験授業を実施しています。
お子さんが笑顔で学ぶ姿を、ぜひ見に来てください。
詳しくはコース紹介ページよくある質問ページをご覧ください。


著者: 川島優貴
所属: AIパートナーズ株式会社 代表取締役/ロジカルAIスクール代表

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